気取った道化に価値は無い ピンチはチャンスだなんて言う事をいう奴がいる。 けれど成歩堂は異議を唱えたい気持ちでいっぱいだった。ピンチはピンチ。逆転を旨としてきた自分だけれど、好きで逆転人生を選んだ訳じゃない。 ああ、でもピンチの今こそ落ち着いて逆転の発想をしなければならないのに。 成歩堂の脳内は、想像という名のいかがわしい妄想に占められてしまう。 (あんな密室に連れ込まれて、こう手錠とかされて…駄目だ駄目だ!見てみたいけれど、そんな姿は他の誰にも見せたくない…!) うおおぅとニット帽子を握りしめて呻る成歩堂に、王泥喜は前髪を垂らす。 困った表情と共に僅かな苛立ちを混ぜた。 「責任を感じているのはわかりますが、少しは落ち着いて下さい。」 心なしか息があがっている成歩堂は、冷静さを欠いているという点だけは、王泥喜の想像と一致していた。 「すまないね、迷惑かけてる。」 ふっと息を吐く成歩堂に、いいえと首を振ってから周囲を見つめた。王泥喜に釣られて、成歩堂も同じ様に部屋を眺める。 大きなモニター、座り心地の良いソファー。検事室にそぐわないアンプやギター、そしてスピーカー。全体的に、仕事に関しては真面目な響也に不似合いで、書類がぞんざいに積み上げられ、雑多な様子だ。 ダンボールに入ったままのラブレターを成歩堂は薄ぼんやりと眺めた。 自分をそして響也を連れ去った相手は、GW宛のラブレターに固執していた。それは連絡を受けただろう響也も気付いたはずだ。 けれど、彼はヒントを自分に残してはいない、それが不思議だ。 法廷でもあるまいし、事実を隠して真実を掴みたまえなんて響也が思っているはずがない。まして、自惚れかもしれないが、自分の生命の危機を前にして、そんな思考に走る相手ではない。 愛しい恋人。 口にすることは滅多とないが、成歩堂はそう思っていたし響也も同じ感情があった はずだ。愛しい相手のピンチを前にして、出来る限りの事をしたいと思うのが心情だ。 成歩堂はこの部屋に来てから初めて、座していた椅子から腰を上げた。 響也が王泥喜や御剣に言葉を残さなかったのは、何の証拠も見つけられなかったか、教えない事がヒントになるのかふたつにひとつだ。 ごそごそとダンボールを漁りだした成歩堂に、王泥喜が声を掛ける。 「牙琉検事も探してたようですけど、それらしいものが見つからないって言ってましたよ?」 見つからない。それならば、前者か。 そう思い手を一旦は手を止めた成歩堂は否と首を振った。見つからないのが、恐らくはヒントだ。思い当たるものがある、でも見つからない。 …僕ならば、…そうか。 成歩堂は再び無言で立ち上がると、記憶を探って引き出しを開けていった。幾つか開き、出前のメニューや楽譜といった裁判とは関係ない代物と一緒にお目当てのハガキを発見することが出来た。 響也への対抗意識を成歩堂に感じさせてくれた、あのファンレターだった。 縁に張り巡らされた極彩色のシールに爪をかけグリグリと動かしてみたが、べっとりと張り付いていて、下の紙まで剥がれてしまいそうになる。 なんて不器用だと成歩堂は改めて自覚した。 「何ですか?それ。」 「王泥喜くん、君は器用そうだからこの周囲のシール綺麗に剥がせないかな?」 覗き込んできた王泥喜の質問には答えず、ただそう告げて渡してやる。 (大丈夫ですよ)と常なる返事をした彼は、両手でハガキを包み込むようにした。暫くしてから、手に包まれた部分のシールに爪をかける。 「もっと温めた方がいいんですけどね。」 糊がもう一度溶けて取れやすくなるのだと(おばあちゃんの知恵袋)的な知識を披露しつつ、ゆっくりと破がしていく。 そこには、成歩堂が思っていた通り文字が綴られていた。 「遺言書…ってこれ!?」 息を飲んだ王泥喜は、慌てた様子でそれ以外のシールを引き剥がそうとした。丁寧に頼むよと言い置いて、成歩堂はそれを見守った。 シールを全て剥がされたそれは、ごく普通の官製はがきだった。 記されている内容にさえ頓着しなければ、綺麗な字でしっかりと書かれている挨拶状に見える。 ただ、そこに押された印や確かな形式の乗っ取った文章を見れば、正式なそれとわかった。 「媒体には規制があるけど、紙に規定はないですよね。これ、立派に有効ですね。」 王泥喜の感嘆にも似た声に、成歩堂は苦笑いをした。 線香臭いのもそのはずで。 きっとこの遺言書を書いた本人の葬儀だったに違いないのだ。 つまり、響也に全ての財産を譲ると認めた遺言書の存在が明らかになり、遺産相続争いに巻き込まれたのが事の真相という事か。 「有名税…と言ってしまえばそうだろうね。」 国民的なグループで人気を博していた響也は、彼自身が知らない些細なもめ事など、きっと有り触れたものに違いない。たとえば、処女を捧げると書いている女の子の彼氏が嫉妬しているとか、だ。 「…にしたって、これは人騒がせが過ぎるような気がします。 此処まで形式が整っているって事は専門家に依頼したんでしょうし、それでいて宛名や遺言という文字を徹底的に隠して送り付けるなんて変ですよ。誰も気付かなかったのなら、唯のファンレターとして処理されてしまった訳でしょ?それって、酷く矛盾してる気がします。」 腕を組み、片方の指を額に当て考え込んでしまった王泥喜を眺めて、成歩堂は再度ハガキに視線を走らせた。 わかって欲しい。隠しておきたい。 このハガキが持つ性質が、響也くんの自分に対する反応のようだと、成歩堂はふと思考に落ちる。 お互いに素直に向き合って心を晒した事などあっただろうか。 相手の反応を伺いつつ、次ぎの一手を惑う。そんな駆け引きが決して嫌いな訳ではないし、心の奥底では相手を愛しい相手だと認めている。それでも気が迷う瞬間に、相手からの気持ちも自分の気持ちも見えなくなる時がある。正反対の事を望み、そのどちらが本当に欲するものだかわからない。 迷い、惑うそれが本質。 「…きっと、遺言者は迷っていたんだろう。遺族に財産を残すべきなのか否かをね。」 ぽつんと漏らした声に王泥喜は思考をやめて、顔を上げる。 「俺にはわかりませんね。あげたかったら誰が何と言おうとあげますし、嫌ならその反対ですよ。」 「だってさ、王泥喜くん。六法にだって、譲る時のやり方や譲らない際記載があっても、どんな人なら譲って、どんな相手なら譲らないなんて書かれていないよ。本当に正しい選択なんて、本人にもわからない。」 「俺は自分の考えを信じます。」 清廉に言い放つ王泥喜に羨ましさを感じて、成歩堂は苦笑した。自らの師匠を告発した強さに改めて感服する。己が師匠をそう出来たのかと問われると恐らく否だからだ。 だから、成歩堂は話題を代えた。今もっとも重要な案件へ。 「御剣はどうしてる?」 「多分捜査の刑事さんに同行してるはずですよ。さっき成歩堂さんの尋問で引っかかる場所を虱潰しに当たるって…! これ、証拠品が出てきたんですから連絡しないと…。」 伸ばしてきた王泥喜の手を避けて、成歩堂はハガキを腹のポケットにしまった。そのまま、ニット帽子を目深にして扉に向きあった段階で、王泥喜は成歩堂と扉の間に立ちふさがった。 「アンタ、何する…!」 「名前もしっかり書かれてるし、直ぐに場所は特定出来るだろう。牙琉検事を助けに行く。」 思わず絶句する王泥喜に、成歩堂は殊更に真剣な表情をしてみせた。しかし、これでコロリと自分に傾倒する響也と違って、王泥喜の反応はシビアだ。 「駄目ですよ。警察にまかせて下さい。これ以上アンタを危険な目に遭わせる訳にはいきません。」 ハガキを寄こせと突き出された掌を掴んで抱き寄せる。けれど、王泥喜は成歩堂の手首を握り返して反対に床に落とした。見事な技に、受け身も取れず、ドスンと音を立てて無様に床に腰を落とす。 「行かせませんよ。」 体格が小柄だが、腕っ節は王泥喜の方は上だ。 打たれ強さには自身があるが此処では役に立たない取り柄だろうと、成歩堂は一計を案じる。床に座り込んだ状態で、眉を深く寄せて口を開く。 「牙琉検事が(あんな事やこんな事)をされちゃっててもいいのかい!」 真顔で喋る成歩堂の言葉を、耳を塞いだ王泥喜が締め上げられた蛙のような悲鳴で止めた。 「なななななんて破廉恥な事を言うんですか、成歩堂さん!!!」 普段の妄想を素直に言葉にしただけだが、王泥喜は顔を真っ赤にして怒鳴る。 「あり得るだろ!!、ひょっとしたら、こんな…。」 もっと妄想話を続けようとした成歩堂の言葉を、今度は完全に遮った。 「わかった、わかりました!行きます!行かせていただきます!!」 あれこれと調べ上げ、颯爽と助けに向かったふたりのチョイスは電車だった。 ガタンゴトンと電車に揺られて目的地に向かう王泥喜の表情は冴えない。 彼の感覚は成歩堂からしても、少々古いところがあり、危機に颯爽と駆けつけるのは(車・それもスーパーカーと呼ばれる代物らしい)と確定していたようだ。 勿論、ふたりとも車の免許も自家用車もないので期待に添ってあげられないのはどうしようもないよなと成歩堂は思う。 満員に近い乗車率の車内で、成歩堂は座席の端に腰掛け膝掛けに乗せた腕に、顎を置きつつ、しょぼくれた青年を観察する。 「ちょっと、痛いじゃないの。」 と、王泥喜の隣。吊革に思いきり手を伸ばして掴まっているオバサンが、目一杯詰まった買い物袋を腕下げ、彼を睨み上げてきた。 見れば、袋が王泥喜の腰に押されてオバサンの豊かな脇腹に食い込んでいる。痛いかもしれないが、網棚に上げればいいではないだろうか。 どうするのかと思っていると、ペコペコと頭を下げ、謝罪の言葉を口にして、成歩堂の斜め後ろに移動した。 「そんな弱気じゃ困るなぁ〜。僕達はこれから大立ち回りを演じるかもしれないのに。」 「じゃあ、アンタが立って下さい。俺が座りますから!」 憤慨した様子の王泥喜に、しかし成歩堂は片方の手を耳に当る。 「え?何、聞こえないよ。」 首を傾げてみせる成歩堂に王泥喜は呆れた表情を隠そうともしない。牙琉の事務所ではもう少し礼儀正しくて遠慮がちだった気がしたが、今お務めの場所がお上品な事務所でもないので仕方ないだろう。 そうして、続けられた質問も無遠慮なものだった。 「…どうして、ひとりで行きたがるんですか?」 「ひとりって、君がいるじゃない。」 返した答えに、王泥喜は前髪を垂らす。「そういう意味じゃないでしょ?」 腕輪を無意識に触っているあたり、自分は緊張しているようだと成歩堂は苦笑する。「牙琉検事を危険な目に遭わせた原因が僕だと知ったら、みぬきが口を聞いてくれなくなるかもしれない。」 「…。」 「王泥喜くんも御剣もみぬきに心配させないように僕が誘拐された事は内緒にしてくれてるはずだ。勿論、牙琉検事もだろう、だったら大袈裟な事になる前に、さっさと彼を助け出したいんだ。」 舐めつけるような王泥喜の視線に少しだけ緊張する。彼の目は決定的な証拠を見抜く事が出来るからだ。 でも嘘はついてない。だから、成歩堂は王泥喜が気持ちを見抜く事が出来ず、『うう』と呻るのを冷静に眺めることが出来た。家族同様に思っている王泥喜には、いつか牙琉響也と自分の関係を打ち明ける事は厭わない。けれど、清廉な彼に自分の心情を理解して貰うには、もう少し先が望ましいだろう。 迷い揺れている気持ちと、愛おしいと感じる思いと。きっとこれが、恋愛の醍醐味なのだろうけれど、今の王泥喜にかかれば一刀両断だ。 若い時はそう、揺れる状況や相手の気持ちなど不安なだけだ。でも、今はそういう己の気持ちも相手の行動も楽しむ事が出来る。こんな時になんだが、幸せの原型を掴んだ気がした。 「勿論、牙琉検事自身を好きだからってのも理由に入るよ。彼とも長いつき合いだ。悪い子じゃないからね。」 ニコリと笑い掛ければ、先程の痴話が効いたのか王泥喜の耳が真っ赤に染まった。 「うう、そういう言い方は、反則です。」 「…難しい子だね。どう言えばいいんだい。」 も、いいです。 小さな呟きを吐いて、王泥喜は黙った。そうして電車は目的の駅に到着する。 content/ next |